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2011年2月

竜王の館(前編)(11)

「姫様、少しお休みあそばせ」
 ひと段落ついたとき、ナミが息を切らせて言った。
「そう? そうね」
 フィリシアも逆らわずに、こちらも多少息を弾ませて、他の侍女の引いて来てくれた椅子に腰かける。
 するとその時、部屋の戸口で、もはや聞き慣れた、なかなかに響きの良い声がした。
「ここは楽しそうだな」
 びっくりして娘達が戸口を見ると、そこには、言わずと知れた竜王の息子が、豪奢な銀の衣装の上に青い豊かな髪を垂らして、上機嫌な様子で立っていたのだった。
「まあ、若様!」
 侍女たちは、そこはさすがに、さっと脇に控えて頭を下げる。フィリシアも椅子から立ち上がろうとすると、
「良いから座っておれ、姫」
 軽く制して、彼は部屋の中に入って来た。急いで侍女がもう一脚椅子を引き出すと、腰をおろして足を組み、
「取り次ぎが誰もおらぬと思えば、こんなところに勢ぞろいしていたとはな」
 からかうように言い放つ。
「申し訳ございません、若様」
 ナミが代表して主人に答えた。深く頭を下げて、
「今日はこちらにはおいでにならないとばかり、思い込んでおりましたので」
「宴のことか? あんなもの、面白くもないわ」
 竜王の息子は眉を寄せて言い捨て、飲み物のグラスを受け取ると、フィリシアに笑いかけた。
「実は抜け出して来たのだ。ここにいるほうが、ずっと気分がいい」
 フィリシアが何と言おうかと迷うのへ、続けて、
「良いものを見せてもらった。姫はとても軽やかに踊るのだな」
「まあ。どのくらいご覧になっていらっしゃいましたの」
 やっぱり見られていたのだと知ってフィリシアがあわてると、彼は少しつまらなそうな顔になって視線を外した。グラスの飲み物を飲みながら、
「たいして見てはいないさ。私が来たら、姫がやめてしまったのではないか」
「でも、のぞき見なんてひどいですわ」
「取り次ぎがいないのが悪い」
 竜王の息子は笑って、再びフィリシアに目をやり、彼女が自分を恨めしそうに、しかし親しげににらんでいるのを見てびっくりした。
「いやその、私も悪かったかもしれないが」
 彼がどきまぎして心にもないことを口走ったので、今度はフィリシアが驚いた。
「え?」
「いやその」
 竜王の息子は、自分に向けられている、今は驚きの色を浮かべている青い瞳に、視線を吸い寄せられるように感じながら口ごもった。胸の内の戸惑いはしかし、次第に、ふくれあがる喜びに変わっていった。この姫君がこんなに親しくふるまってくれたのは――フィリシア自身は気付いていなかったけれど――初めてだった!

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竜王の館(前編)(10)

 フィリシアがこの館にやって来てから、そうして十日ほどが過ぎた。昼は侍女たちとたわむれ、夜は自分を探しているだろう仲間達のことを思いながら眠りにつく、そんな生活が続いていた。
 いつも穏やかに微笑んでいるこの新しい女主人が、その実あまり気の晴れることのないらしいのを、侍女たちは自分のことのように気にかけていたが、どうすることもできなかった・・・が、ある日の夕方。
「――ねえ、ナミ」
「はい、姫様」
 寝室と続き部屋のいつものサロンで、フィリシアは美しい青いドレスを着て椅子に座っていたが――ナミが縫ったというので断り切れなかったのだ――、耳をすましながら尋ねた。
「あれは、踊りの曲ね?」
「ええ、そうですわ」
 ナミは縫物の手を休めて、
「今日は向こうのお館で、偉大なる竜王様が宴を開いておいでなのです。踊りが今始まったのでございましょう。踊りがお好きでいらっしゃるのですか」
「ええ、とても」
 フィリシアは控えめにそう答えたが、音楽に耳を傾けるその姿は、まるで魂を飛ばされてしまった人のようだった。ナミはそれに気付いて、
「この曲をお教えいたしましょうか」
と申し出た。青い髪の姫の顔がぱっと輝いた。
「すてき! でも・・・私にも踊れるかしら」
「大丈夫ですわ」
 ナミは姫君の明るい様子を喜びながら立ちあがったが、まとめた縫物をどこにやろうかと少し迷って、
「少々お待ちいただけますか。これを置いて参ります。何かお飲み物でも」
「そうね、お願い」
 そうして、飲み物を持って戻って来たとき、ナミはフィリシア付きの侍女たちをみな連れて戻って来たのだった。彼女達は宴に駆り出されずに別室に控えていたのだが、楽しそうなことが始まるのを知って集まって来たのである。もちろん、フィリシアのほうは大歓迎だった。広い部屋はたちまち、にぎやかな笑い声で満ちた。――そう、一、二、三、一、二、三、回って回って――。
 姫君がすぐにステップを覚えてしまったので、いくつもの足音は音楽に合わせて、じきに軽やかなリズムを刻むようになった。フィリシアのほおは、うっすらと上気してばら色に染まっていた。姫君のいつにない明るい様子に、侍女たちは口に出さずとも大喜びだった。姫君の踊りの上手なことも、いつもの静かな彼女を見慣れた侍女たちの目には、胸の躍るような素晴らしいことと映った。
 娘達は笑いさざめきながら部屋中を踊り回った。新しい曲がかかると、彼女達の足音はいったん止まり、ゆっくりと床を鳴らし、姫君が覚えたところで速度を上げて、また軽やかに踊りだすのだった。

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竜王の館(前編)(09)

 それから毎日、フィリシアは至れり尽くせりのもてなしを受けた。それも、もしも彼女自身がたびたび固辞しなかったなら、さらに贅を尽くしたものになっていただろうことに疑いはなかった。
 一日三回出てくる食事は、彼女がその度にもっと質素なものにしてくださいと頼み続けた結果、三日目くらいにようやくその豪勢さを少し減じたようだった。また、毎朝届けられる素晴らしいドレスは、こんなに気遣っていただかなくても結構ですと断り続けたにもかかわらず、こちらは一向に差し止められる気配はなかった。ドレスは彼女に着てもらえないまま、再び運ばれて行くことになるのだったが、それはどうやら、別の所で用立てているのではなく、やがて彼女に要り用になるときのため、どこかにしまいこまれているらしかった。
 そうして、彼女自身はどうしていたかといえば、この姫君はまず、最初に食事が運ばれて来たときに、そこに、昔話によくあるような、食べると記憶がなくなったり二度と元の世界に戻れなくなったりする物がない、ということを確かめていた。それから、一番気になっていたこと、つまり、この水の底と人間の世界では時間の流れ方が違いはしないだろうかということを、早いうちにナミに尋ねて、そんなことはないと保証してもらっていた。そしてそのうえで、彼女はこの状況をともかくも受け入れて、ひっそりと毎日を送っていた。決して、憂鬱そうでないわけではなかったが、彼女は穏やかに落ち着いて感じよくふるまっていたので、彼女に付けられた侍女たちはみな――ナミ以外にも数人が交替で世話をしてくれていた――、彼女を慕い、本物の主人のように扱ってくれていた。
「若様はとても良い方ですのよ」
と、彼女達は時々遠慮がちに言うことがあった。実際、竜王の息子はあれ以来ずっと、口のききようこそ相変わらずだったが、礼儀正しかったし、親切でもあった。彼は侍女たちからも話を聞き出していて、姫が物語を好きらしいと聞けば語り部を部屋に寄越し、チェスが好きらしいと聞けば水晶の駒と台を届けさせた。気が向くとフィリシアに会いに来て、何やかやと言葉を交わし、満足そうに帰って行った。
 これに対して、フィリシアのほうも、もともと邪険な態度というものは性分として持ち合わせていなかったので、だんだん打ち解けて話をするようになっていた。帰りたいと口にすることは少し控えるようになった――彼がどんなに悲痛な顔をして、しかし彼自身にもどうしようもない頑固さでそれを拒むか知ったからである。竜王の息子とて、彼女の願いなら何であれ叶えてやりたかったのだが、こればかりは叶えるわけにはいかなかったのだ。
 竜王の息子は、ともかくもフィリシアに相手をしてもらえるようになって幸せそうな様子だった。ただし、彼が少しでも求愛しそうな素振りをみせると、彼女は表情を硬くして、彼が帰るまで二度と打ち解けようとしないのだった。
 竜王の息子がこの人間の姫君に並々ならず入れ込んでいるのは傍からも明らかだったが、もしかしたら最初はそれを快く思っていなかったのかもしれない侍女たちも、今では心から、フィリシアが若い主の妃になってくれるようにと願っているのだった。

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竜王の館(前編)(08)

 そうして、次の日からの滞在は、フィリシアにとって、少なくとも、それほど不愉快なものとはならなかったのだった。
 まず、最初の朝に、若い主が謝罪を述べにやって来た。フィリシアの目が覚めるまで、ナミは彼を待たせておいた。
「その・・・昨日は申し訳なかった、姫」
 やっと入室を許可されると、彼は、朝の挨拶も抜きで、落ち着かなげに切り出した。気まずいのだろう、横を向いたり下を向いたりして、フィリシアと目を合わせようとしない。
「昨日はその・・・少し気がせいていたものだから・・・姫を、その、おそらく・・・ずいぶん、脅かしてしまったことと思う。たかが人間と侮って・・・無礼なことを、申し上げた。どうか・・・お許し願いたい」
 傲慢な様子が完全に消えたわけではないが、つっかえながらそう言った彼は、ずいぶん礼儀正しくなっていて、何より、ひどく後悔しているようだった。フィリシアは、淋しげにではあるが、かすかに微笑した。
「わたくしなど、あなたのおっしゃる通り、卑賤な人間に過ぎません。どうぞ、お気になさいませぬよう」
「あなたは卑賤などではない、姫」
 竜王の息子は驚いたように目を上げた。
「私がそう思わせたと言うのか? そんなつもりではなかったのだ。ただ・・・」
 しばし絶句して、また視線を落とし、低い声で言い始めた。
「たかが人間の、とは、確かに思っていた。だから姫が私に従わぬと知って、ひどく腹も立ったし、力づくで言うことをきかせようと思いもした。だが・・・非道だと諌められて考え直し、気が付いたのだ。たとえ力によって姫を手に入れても、それでは何の意味もない。姫が私を疎み、忌まわしいものとばかり思いなすなら、何の嬉しいことがあるものか。私の望むのは、そんなことではない!」
 竜王の息子は真正面からフィリシアを見つめた。青い髪の姫は、その強い視線を受け止めかねて、そっと目を伏せた。天真爛漫なこの姫のほおにも、さすがに薄く、血の色が上って来ていた。
「その後で私は自分のしたことに気付いた」
 竜王の息子はかまわずに続けた。
「私は姫に、ずいぶん乱暴な仕打ちをした。あれでは・・・姫に嫌われるばかりだ。そう思い始めたら矢も盾もたまらなくなって」
 ここで、彼の声はふと再び不安そうな響きを帯び、
「それで、朝からこうして謝りに来たのだ、姫。しかし姫は・・・姫は、もう私のことなど、野蛮で情けのかけらもないと――見るのも嫌なほど厭わしいと、そう思い決めているのだろうか・・・?」
 フィリシアは、しばしためらった。それから、正直に、
「嫌ってなどおりませんけれど、お恨み申し上げております」
と言った。竜王の息子はまじめな顔で、
「姫をここに連れて来たことをか。何不自由なく暮らせるように配慮するが」
「わたくしの心は、昨日と何ら変わっておりません。わたくしの望みは」
「だめだ!」
 竜王の息子はその先を悟って声を荒げた。
「姫は帰さぬ。それだけは譲れない」
 フィリシアは黙って、悲しげにうつむいた。竜王の息子は気を鎮め、こちらもいくぶん傷心の態で、
「姫。早く、この館の暮らしにも慣れてほしい。きっと、姫の気に入る。姫が落ち着くまでは、私も無理強いはするまい。いつまででも待とう。姫が、私の妃になっても良いと、言ってくれるまで」
 フィリシアははっと身を固くした。そして、うつむいたまま、ゆらゆらとかぶりを振った。竜王の息子は、彼女が目を上げはせぬかとしばらくじっと待っているようだったが、やがて苦しげに席を立ち、それ以上何も言わずに部屋を出て行った。

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竜王の館(前編)(07)

「ならぬ!」
 竜王の息子は、いまや完全に激昂して我を忘れていた。彼は椅子を立ち、フィリシアをにらみつけた。
「私が目をかけてやったのに、逆らうつもりなのか、この恩知らずめが! 分をわきまえるがいい、あとで鞭打たせてやろう。おまえはここに留まるのだ、よいか、私の妻になるのだ。待っていろ、いま鞭打ち人を寄越すからな!」
 荒々しく言い捨てて出て行った。フィリシアはうつむいて重いため息をついた。とにもかくにも心細い。今頃、みんなはどうしているだろう? どのくらいの時間が経ったのだろう? まだ、私のいないことに気が付いてはいないだろうか・・・。
 扉の外に気配を感じて、フィリシアははっとした。鞭打ち人が来たのだ。鞭で打たれるのはさすがに初めてだった。服が裂け、皮膚が破れて血が流れ出す・・・ああ。それでも、私は毅然としていなければ。
 それにしては控えめなノックの音に、少し不審を覚えながら「どうぞ」と言うと、入ってきたのはナミと名乗ったさっきの侍女だった。ほおをうっすらと上気させている。
「ご安心くださいませ、姫様」
というのが、彼女の第一声だった。さっきまでと違って、誇らしげに背をしゃんと伸ばしている。
「若様はわたくしがお諫めいたしましたからね。もう大丈夫です。鞭打ち人など――おお恐ろしい――来やしません。とんでもないですわ。姫様をさらっておいでになって、そのうえ鞭打ちだなんて」
 フィリシアは何も言わなかった。見知らぬ土地で不意に味方が現れたことに、戸惑っていたのだ。
「もう大丈夫でございますよ」
 フィリシアのそんな様子を見て、ナミは微笑み、繰り返した。
「若様も、決して悪いお方ではないのです。ただ、ご自分の思うようにならないとすぐにお腹立ちになる悪い癖がおありで・・・どうぞ、許してさしあげてくださいませ。わたくしが代わりにおわび申し上げます」
「まあ、ナミ」
 深々と頭を下げたこの侍女に、フィリシアはあわてて声をかけた。ナミは顔を上げ、
「覚えていてくださいましたのね!」
 嬉しそうに言った。
「どうぞ姫様、わたくしをご信頼あそばしてご安心なされませ。わたくしがお世話いたします限り、姫様には決してご不自由はさせません」
 はにかんだ、けれど誇らしい笑顔。フィリシアの世話を任されているのが彼女だということは、あるいは天に感謝すべき幸運であるのかもしれなかった。
「・・・ありがとう、ナミ」
 フィリシアは思わず気が緩んで涙ぐみそうになるのをこらえ、心からの感謝をこめて言った。
「私など他所者だし、もしかして、あなたにも楽しくない思いをさせてしまうのかもしれないけれど。ここにいる間は、どうぞよろしくね」

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竜王の館(前編)(06)

 この若者――といっても実際には何才なのかわからなかったけれども――は、床に届くほど長い、青い青い髪をしていた。同じ色の青い青い目は、何の迷いも知らないように澄み切っていて、どこかフルートの目に似ていた。しかし、その目をきらきらと輝かせて、若者が次に言ったことはといえば、
「それで、そなた。私の妻になれ」
というのだった――フルートはむろん、こんなことをこんなふうに言いはしなかった。
 ほんのしばらくの間、フィリシアは、怒るというよりも動転し、言葉を失っていた。けれども、由緒正しい家の娘が、不正にさらわれて来て結婚を迫られた時の当然の反応として、次にはきっぱりと言い切った。
「お断りいたします」
 竜王の息子は驚いた顔をした。
「なぜだ」
「わたくしは、貴方様を存じ上げません。見知らぬ方にさらわれて来て、妻になれと命じられ、はいとお答え申し上げますほど、卑しい魂は持ち合わせておりません」
「何を馬鹿な」
 彼は信じられないという顔をした。
「そなたを連れて来たのはこの私だ。私の妻になったからといって、誰がそなたを卑しいなどと言うものか。そなたは、しかるべく敬われ、いずれは竜王の妃として崇められるのだ」
「わたくしはそのようなことを望んでいるのではありません」
 フィリシアの声は、いっそう硬くなった。竜王の息子はやや苛立ったふうに、
「では、何が望みだ」
「わたくしを、元いた場所に帰していただきとうございます」
「なぜだ!」
 彼の口調が荒くなった。フィリシアは動じた様子もなかった。静かに続けて、
「わたくしには、親も兄弟もおりますし、数ならぬこの身を気にかけてくれる友人もおります。それらの人たちに心配をかけるのはわたくしの本意ではありませんし、知る人もないこの水の底での、どのような贅を尽くした生活よりも、そうした親しい人々との心和む暮らしのほうが、わたくしには大切に思えるのです」
「そなたは私のものだ。私が連れて来たのだ」
「おそれながら申し上げます」
 フィリシアは悲しげな顔になり、硬い声のままで言った。
「わたくしをここに連れていらっしゃる権利も、わたくしをここに留め置く権利も、あなたはお持ちではないのです。どうぞ、わたくしのことなどでお心を迷わせずに、わたくしを元の場所にお帰しくださいませ」

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竜王の館(前編)(05)

 ・・・目が覚めると、見慣れない部屋のベッドの上にいた。失神する直前の記憶がよみがえり、フィリシアははっとして身を起こそうとした。
「お目覚めでございますか?」
 すぐ横で、細い女の声がした。反射的にそちらを向くと、美しい娘が一人、おどおどと心配そうにフィリシアの様子をうかがっていた。
 フィリシアはともかくも起きなおり、ひとつ深呼吸をして気を鎮めると、穏やかに尋ねた。
「ここはどこ? ・・・あなたは?」
 娘は目を伏せた。
「ここは、偉大なる竜王さまのお館の、若様のお住まいになる離れの一室でございます。わたくしはここにお仕えしている、ナミと申す者。このたび、姫様のお世話を承りましてございます。以後よしなに」
 不吉な胸騒ぎがした。フィリシアは、気を確かに持って、できるだけ落ち着いた声を出そうと努力した。
「それでは、ここは水の底ですか?」
「はい、姫様」
「わたくしは、いつ、帰ることができるでしょうか?」
「さあ、それは・・・」
 ナミは口ごもった。フィリシアの表情が硬くなる。ナミは彼女のほうを見ないまま、かすれるような声で、
「わたくしには、わかりかねましてございます」
 かろうじてそう言うと、取り繕うように、
「いま、若様をお呼びして参ります。お待ちくださいませ」
 言って、逃げるように部屋を出て行った。
 館の若い主が、今は人の姿に戻ってやって来たのは、それからいくらも経たぬうちだった。
「どうだ、気分は」
 ノックもせずに彼がずかずかと入って来た時、フィリシアはまだ、やっとベッドから下りて服を直しているところだった。この「若様」にさらわれたのだと知らぬまま、彼女は急いで立って、姿勢を正した。
「おかげさまで、だいぶ落ち着きました」
 まずは礼儀正しく答えてお辞儀する。状況がのみこめないので、それ以上の言葉は出て来なかった。
「何よりだ」
 若い主は満足げに言って、
「おお、ともかく座るがいい。私もかけるから」
 二つある椅子を指し示し、まずは自分が腰かける。フィリシアも遠慮せずに座ることにした。彼は上機嫌で彼女を見ている。

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竜王の館(前編)(04)

 祭礼の間まで来ると、竜王の息子は無造作に、
「では、行って来る」
「行ってらっしゃいまし」
 見送られて中へ入った。ここに入ることのできるのはごく限られた者だけである。
 扉の中にはさらに扉があり、竜王の息子はその中に入った。この入れ子の小部屋には天井はなく、吹き抜けで上に上がれるようになっている。彼は、祭礼用の長い白い衣服をまとい、呪術用の装身具をじゃらじゃらと身に付けたその姿で、部屋の中央に立って意識を統一し・・・瞬く間に竜の姿となって、水をまきあげ、水面めがけて上って行った。
 沼の水面をざんぶと抜け出ると、沼の周囲で祈っていた多くの人間が、いっせいに低く驚嘆の声をもらした。もっとも、彼がその声を耳にしたのはほんの一瞬に過ぎなかった――なぜなら彼は、次の瞬間、すでに遥かな天の高みに上ってしまっていたからだ。
 なすべきことはわかっていた。手順どおりに雨雲を呼び寄せ、雨を降らせる頃合いを計る。そうしながら、彼は下方に見える人間どもを冷めた目で眺めやって、何か退屈しのぎになることはないかと考えた。
 人間どもはほとんどが畏怖の表情を浮かべて、ある者は空を見上げ、ある者は下を向いたまま祈り続けている。いずれにしても、彼の姿は見えていないはずだ。人間どもの目には、ただ、沼の中央がざぶんと波立った後、そのあたりに白い靄がかかっているようにしか見えていないのだ。
 少し早いかもしれなかったが、しかしそろそろ良かろう、と、雨をぽつぽつと降らせ始めたときだった。竜王の息子は、ふと一人の娘に目を止めた。その娘は、うつむき加減に祈りをささげていたが、どことなく周りの者たちとは違った空気をまとっているように見えた。
 どこが特別なのだろう、と、彼がなおもじっと見つめていると、そのとき彼女は顔を上げて空を見上げ――
 ――その途端。彼は、それまでに企てていた何もかもを忘れた。その娘は、いくぶん薄れてしまってはいたものの、明らかに、古代の王からの正しい血を受け継いでいた。そして――ああ、その真摯な瞳と気高い顔立ちの、なんという美しさ! ほっそりした肩に波打つ豊かな髪は、彼の種族に似て青い色をしている・・・。
 彼は、もう雨のことなどどうでも良かった。とにかく降ればいいのだ、とばかりに呪文を唱え、唐突な雨の滝をごうごうと降らせて、高度を下げた。喜びを通り越して戸惑い始めた人々の間に手を伸ばす。
 ・・・フィアの近くにいた数人の者は、確かにそのとき、滝のような雨の中、恐ろしい大きな竜の爪が靄の中からぬっと突き出て、悲鳴をあげる暇も与えず、青い髪の乙女をつかんだのを見た。そして、気を失ってしまったらしい彼女をつかんだまま、爪は再び、白い不思議な靄の中へと消えて行ったのである――。

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竜王の館(前編)(03)

 その日、かの偉大なる竜王は、水底の館で訴訟の裁きにおおわらわだったが、一息つきに居室に戻ったとき、地上での雨乞いの知らせを受けた。
「捨て置け。今は忙しい」
というのが、知らせを持って来た召し使いに対する、竜王の答えだった。まったくのところ、ここしばらく、竜王はいつになく多忙で、だからこそ雨を降らせる暇もなかったのだ。
「それが、ご主人様」
 召し使いはしかし、すぐには引き下がらなかった。覆い布のかかった盆を主に差し出す。竜王はいぶかしげにそれを受け取って布を外し、乗っているものを一目見て、低くうめいた。それは、雨乞いのときにはいつも投げ込まれて来る、粗削りな石の彫刻だったのだが――
「正式な祝福を受けているのか・・・降らせねばなるまいな」
 その彫刻は、正しい作法にのっとった、神聖な祝福を受けていた。人の世から来る物としては珍しいことだったが、もちろん、だからといって無視することはできなかった。
「どうしたものかな」
 考えこんだ竜王が決断をくだすまでに、さほど時間はかからなかった。
「そうだな・・・よし。ではおまえ、倅のところに行ってくれんか。あやつ、最近のんきに遊び暮らしておるようだからな、たまには働かせてやろう。雨を降らせるよう、言いつけて来てくれ。良いな」
「かしこまりましてございます」
「至急だぞ」
 そういうわけで、雨降らしの役は、竜王の息子のところに回されたのだった。
 使いが来たとき、この息子は、青い髪をゆらゆらとなびかせながら――水の神に連なる者はたいてい青い髪をしている――、退屈そうに宝石箱から装身具を選びだしているところだった。雨を降らせろという父親の命令を聞くと、彼はぶつぶつ文句を言ってみせたが、いい退屈しのぎと思ったのだろう、比較的あっさりと引き受けて、むしろ喜々とした様子で出かける支度をし始めた。
「大雨にして洪水でも起こしてやるかな」
と、着替えながら楽しそうに言うので、使いの者があわてて、
「若様!」
と、たしなめる。竜王の息子はふんと鼻で笑った。
「わかったよ、やめておく。せいぜい、雨乞いの人間どもをからかって来るさ」
「・・・あまり度を過ごされませんように」
「気苦労の多い奴だな、心得ているさ」
 笑いながら祭礼の間に移動するが、内心どんなことを考えているかわかったものではない。使いははらはらしながら、しかし口答えすることもできず、ただ黙って頭を垂れた。

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竜王の館(前編)(02)

 一方、フルートとフィリシア――というより、おしのび中ゆえルークとフィア、は。
「じゃ、気をつけて」
 分かれ道で馬を引いてひとり列を離れながら、金髪の若者は気がかりそうに言った。
「わかってるわ」
 フィアは無邪気に笑って手を振ってみせる。あろうことか、この姫君は、昨夜泊った村の人々と一緒に、雨乞いのおこなわれる沼まで行こうとしているのだった。村の窮状と、それにもかかわらず歓迎してくれた人々の親切に、すっかり心を寄せてしまったのだ。
「どこに泊まってるか、わかるようにしておいてね」
 珍しく気が咎めているらしいルークに向かって、青い髪の乙女は朗らかに頼んだ。そのルークはといえば、他所の祭事にまで関わりあいたいとは全く思わなかったので、フィアを止めこそしなかったが自分は参加せず、一人でさっさと先に行くことにしていた。そのことを、至極簡単に決めていたくせに、後になってフィアに悪いと思い出したらしい。人に気を使うのが不得手な性格なのだ。
 ルークはうなずいた。
「わかった。また明日」
「ええ、また明日」
 見送られて、フィアはまた行列に交じって歩き出す。
 ルークが抜けたので、行列の中で馬を引いているのはフィア一人になった。雨乞い行列においては、これは旅人の特権だ――乗ることは許されないのだったが。フィアは、今日いっぱいを村人たちとともに過ごして、明日街へ向かうつもりだった。儀式のおこなわれる「竜王の沼」から街へは、馬を使えばそれほど遠い道のりではない。
 この行列は歌は歌わなかった。雨乞い行列の仕立て方は、村によってまちまちだ。ただ、村々の代表者たちが雨乞い儀式の日を決め、ふれを回し、それぞれの村で行列を仕立てて当日「竜王の沼」に集まると、あとの儀式は皆でまとまっておこなうことになっていた。祈願文を書いたり、石像を持って来たりするのは、それぞれの係に決められた村の仕事で、その割り当ては毎回変わる。
 今回の儀式は、今日の昼から始まり、三日間続く予定だった。が、フィアのような飛び入りの者はいつでも抜けてかまわない。実際、竜の年に生まれた者が雨乞いに加わるのは吉兆とされていたので、通りすがりの旅人の出入りも珍しくはなかった――フィアもまた、竜の生まれだったのである。
 日はだいぶ高くなっていたが、目的地はもうすぐだった。

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竜王の館(前編)(01)

「それにしても暑いな」
 セレンは馬上から恨めしそうに太陽を見やった。
「まだ夏はこれからなのに。雨だって、いつから降っていないだろう」
「ふた月になるね」
 馬を並べて、涼やかな声でゼラルドが答える。こちらは暑さをものともしていない。
「物覚えの悪いことだ」
「何だって?」
 セレンがむっとして何か言いかけたとき、道のはるか前方から、歌声のようなものが聞こえて来た。おやっという顔をして、長い月色の髪をした若者は手をかざす。
「あ・・・ごらんよ、あれ、雨乞い行列だぜ」
 そう言って、思案顔になる。
「ぶつかるぞ・・・やり過ごすしかないな」
 言うのを聞いて、黒髪の若者も、どうやらこの辺りでは雨乞い行列に道を譲るものらしいと理解した。
 道の両側には、ずっと畑が続いている。が、ここしばらくの日照りのために、大地はひび割れ、作物の穂も乾いているようだった。雨乞い行列が出ても不思議はない。
 行列は雨を乞う歌声とともに、だんだん近づいてきた。二人は馬を下りて道の端に寄った。セレンがそのまま膝をつくのを見て、
「行列が通るときは身を低めなければならない?」
 ゼラルドが尋ねると、セレンは気が付いてゼラルドを見上げた。
「・・・そうか。たしか君は、竜の年の生まれだったよね?」
「ああ」
「それなら立っていていい。雨乞い行列は竜王に祈りに行くから、その関係でね」
 そうこうしているうちに、行列は二人の前までやって来た。
「そこにおられるのは、竜の生まれのお人か?」
 先頭の初老の男が聞いてくる。残りの者は歌を止めない。ゼラルドがうなずくと、
「祝福をお願いする」
 その言葉を合図に、男の後ろから若い娘が進み出て、小さな石の彫刻の乗った盆を差し出した。彫刻は、粗削りに竜の姿をかたどったものだ。ゼラルドは戸惑ったようにセレンを振り返った。
「水に沈めて捧げものにするんだ。好きなように祝福すればいいよ」
 そう言われて向きなおったが、何か迷っているようだ。石像を眺めながら、
「・・・この天候ではさぞお困りのことでしょうね」
 ぎこちなく、そんなことを聞いている。男は素直にうなずいて、
「まったくだとも。このあたりはオリ川があるからまだいいだろうだが、わしらの村では、川の水も、井戸の水も、もう尽きかけている。家畜に飲ませる水にも不自由しているところだ」
「・・・どこまでお祈りに?」
「もうすぐだ。来るのに三日かかったがね、なに、たいしたことじゃあない」
 ゼラルドはそれでも、まだ何かためらっていた。が、男が不審そうな顔をするよりは早く、透明な水晶の棒を取り出して、石像に祝福を与えていた。
「祝福を」
 水晶棒をすっと動かしてそう言った。男は礼を述べ、行列は再び進みだす。
 その歌声がやがて背後に通り過ぎて行くと、セレンは立ち上がった。ゼラルドはそれに向かって、一言、
「急ごう」
と言った。次の街では、あとの二人と合流できるはずだ。

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作者より:「竜王の館(前編)」

連載前に、更新スケジュールのご案内です。

現在、休日(および休前日)にのみ更新しているのですが、今回「竜王の館」は長いので。

週半ばの水曜日あたりにも、(覚えていたら)更新できるように頑張ってみます。

「竜王の館」が終わるまでの期間限定です。・・・2か月くらい?

 

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作者より:「赤い小鳥の姫君」

「赤い小鳥の姫君」は、話の順番としては、「ゆがんだ城」や「金の砂の塔」の前に来るお話です。
が、登場人物を紹介する順番の都合上、今のところはこの位置に並べておきます。

川に落ちたゼラルドは、海辺の国育ちなので、泳ぐのは一番上手だと思います。

フィリシアにはもう少し派手な見せ場を作ってあげられたら良かったな、と反省しています。

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赤い小鳥の姫君(08)

 あくる朝、よく晴れた空の下、国王一家は二人の出発を見送ってくれた。
 前夜のことは誰も言わなかったし、アマラも屈託なく笑っていた。
「フルートお兄さま、フィリシアお姉さま、またお会いできる日を楽しみにしています」
 そうしていると本当に可愛らしくて、旅人たちも口々に別れを惜しんだ。
 城下に出てから、はじめてフルートが言った。
「ゆうべ話す機会があってね、アマラが君のことを尊敬していたよ。何でもできるって」
 では、フィリシアがアマラの思い通りにならなかったことを、良しとしてくれたわけだ。
 フィリシアはほっとしながら、こちらはこちらで、気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、フルート」
「何?」
「あのね。あなたには、国元に、その、だれか、大切なひとがいる・・・?」
 フルートは驚いたようだった。
「アマラに聞いたのか。いつのまに。昨夜はそれで質問責めに・・・ああ、どんな人かは聞いてないんだね」
「ええ」
「髪は、月の光のような金色をしていてね!」
「・・・ええ」
 フルートは楽しそうだ。ちくり、とフィリシアの胸が痛む。
「瞳は、魔除けの宝石のような深い緑色で」
「・・・ええ」
「やさしくて、ふるまいが優雅で、話し上手で」
「・・・ええ」
「外国語に堪能で、神話伝承に明るくて、剣術が得意で」
「・・・待って、それって」
「すこし神経質で、ときどき気分屋で・・・って、ここまでは話さなかったけれど」
「セレンのことじゃない! じゃあ、全部」
「そう、嘘だよ。いつ嘘だと言おうかと思っていたら、途中でおよそを察した王が、明かさなくていいと首を振るから、結局明かさなかった」
「そうだったの・・・」
「・・・君は?」
「え、何?」
「いや、なんでもない」
 そうして、今日も旅は続いていくのだった。

(完)

 

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赤い小鳥の姫君(07)

 アマラは目をうるませ、口元を震わせた。
「そんなの、ひどい! わたくしがこうしてお願いしていますのに」
 姫君はさめざめと泣き始めた。フルートは扱いに困っている様子だったが、
「アマラ姫。あなたはとても魅力的な方ですが、世の中には思い通りにならぬこともあるのだと、どうかおわかりください」
と言いきって、結局もっと泣かせてしまっていた――
 ――老婆はくるりと水晶球を回して、覆い布をかけた。
「ほうほう、王子も、不器用なりに、考えたじゃないか」
 老婆は真面目な顔で、水晶球を服の下にしまうと、杖を取ってトンと床を叩いた。
「もう一度小鳥に変えようかと思っていたが、まあしばらく様子を見ようかね。王たちが何と言っているかは知らないが、私はあの子の名付け親で、あの子を大事に思っていることに変わりはないんだよ・・・おや、まあ! あんたが落ち込んでどうするんだい、フィリシア姫」
「え・・・え?」
 フィリシアは戸惑った。だが、胸が痛いのは本当のことだった――フルートが国に恋人を残して来ている、などと、今まで考えてみたこともなかった!
 老婆はしげしげとフィリシアを眺めた。
「まあ、ちょっとくらいは、あんたたち自身について考えてみるのも、悪くないかもしれないね。それであんたが何かに気づけるかどうかは怪しいもんだが」
「はい」
「うん。それじゃ、邪魔したね、フィリシア姫。それと、国王一家の浅はかな企みの数々については、甘えるようだが、どうか許してやっておくれ。旅の無事を祈ってるよ!」
「はい、ありがとうございます」
 フィリシアの言葉が終わるか終らないかのうちに、老婆は目の前からかき消えていた。
 残されたフィリシアはひとり、物思いにふけった。
 フルートには国元に恋人がいる。それはフィリシアの見知らぬ誰かだ。そう、旅の仲間たちは、いずれ旅が終われば、それぞれのいるべき場所に帰っていく。今は確かだと感じられる絆が、やがて失われるときが来る。その気づきが胸に痛いのだと、フィリシアは思った。

 

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赤い小鳥の姫君(06)

 フィリシアが身をかがめて水晶玉をのぞきこむと、長椅子にかけて語り合う国王一家とフルート王子の姿が見え、彼らの話す声までもが聞こえて来た――
 ――フルートが、飲み物のグラスを手に、うんざりしたように話していた。
「さきほどから申し上げているとおり、今は伴侶を決める時ではないのです」
 国王のほうは熱心に、
「そうでもありましょうが、そろそろ、アマラがお気に召しませんか」
「その『そろそろ』というのも、さっきから、ぼくには何のことだかわからない」
「アマラ、もう少し注いでさしあげなさい」
「はい、お父様」
 いそいそと飲み物を注ごうとする、可愛らしく着飾ったアマラに、
「もう結構。お話がそれだけなら、これで失礼させていただきたい」
 そう言ってフルートは席を立とうとする。
「待って! どうぞもう少し召し上がってください、フルートお兄さま」
 フルートはさっと振り向いてアマラを凝視した。
「君も知っていたのか。これの中身を」
「えっ・・・あの・・・」
 フルートは国王一家に向きなおって、グラスをトンとテーブルに置いた。
「リーデベルクの王子に怪しげな薬を盛って、ただで済むとお思いか!」
「い、いや、どうか」
「フルートお兄さま、待って!」
 アマラは割り込むと、無邪気な様子で尋ねた。
「それでは、薬など使わなくても、アマラのことを好きになってくださる?」
「・・・は?」
「他に心に決めた方がいらっしゃらないなら、いいえ、いらっしゃっても、その方ではなく、どうぞアマラのことを好きになってください。アマラのお願いです」
「他に誰かいようといまいと、人の心はそんなふうに簡単に動きません、アマラ姫」
「どなたかいらっしゃるのね。フィリシアお姉さま? そうならお姉さまにもお願いを」
「フィリシアは関係ない」
 ぎょっとしたようにフルートは否定して、大きなため息をひとつつき、言った。
「大切に思う人は国元にいます。その人が自分を愛さなくても、その人が亡くなっても、自分の心はその人のもので、あなたのものではない。・・・こう申し上げれば、おわかりいただけますか」

 

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赤い小鳥の姫君(05)

 フィリシアが振り向くと、そこには、小柄な老婆がちんまりと立っていて、目をきらきらさせていた。
「お邪魔するよ、フィリシア姫。どんなあんばいかと思って来てみたが、なんだい、全然だめじゃないか」
「・・・何のお話ですの?」
「決まってる、アマラのことさ!」
 老婆は持っていた杖で床をトントンと叩いた。
「あんたたちがガツンと言ってやらなきゃ、あの王も王妃も王女も、反省なぞしないよ!」
「反省って?」
「なんでもアマラの思い通りにしようってことさ」
「どういうことですの?」
 フィリシアが尋ねると、老婆はまた杖でトントンと床を叩いた。
「あんただって、頭はそう悪くないんだから。ちょっとくらい考えたんじゃないのかい? もし鹿狩りであんたが鹿を獲れなかったら、いい恥さらしになってたってことを」
「・・・でも、実際には良い成績が取れました」
「音楽会だってそうだ。王子の助けがなかったら、あんたはアマラの引き立て役だった」
「・・・でも、実際には良い演奏ができました」
「そうだね。だけどあの王と王妃と王女は、あんたが失敗することを期待してたんだよ」
「そんな! 理由がありません」
「理由なぞ決まってる。アマラをより可愛く賢く魅力的に見せるためさ! そうして、あわよくば大国リーデベルクの次期国王の花嫁に収めるためさ! 労せずして他人を思い通りにしようとするのは、国王一家の悪い癖でね。どうやらアマラが小鳥だった三日間、何も学ばなかったようだ」
「では、あなたは・・・」
 フィリシアが言いかけると、老婆はうるさそうに手を振った。
「もちろん、私がアマラを小鳥に変えたのだよ。そんなことより、今起こっていることを話そうじゃないか。王子は夕食のあとに引き止められて、今は国王一家と音楽を聞きながら歓談中だ。そして国王一家のほうは、王子に一服盛ろうと企んでいる」
「ええっ!」
 フィリシアが顔色を変えると、老婆はにこりと笑った。
「安心しい、毒じゃあないし、あの王子には効きゃしないよ。だが、そろそろ王子は怒るかもしれないね。一緒に見てみるかい」
 老婆は杖を壁に立てかけると、服の下から大きな水晶玉を取り出して、両手に抱えた。

 

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赤い小鳥の姫君(04)

 アマラはたしかに、可愛らしい王女だった。亜麻色の髪と目をしていたが、単に見目かたちが愛らしいばかりでなく、人懐こく、それでいて礼儀正しく、
「フルートお兄さま。フィリシアお姉さま。どうもありがとうございました」
と、礼を述べて頭を下げ、顔を上げると花が咲くように微笑んだ。
 その夜は、祝いと歓迎の宴になった。薄紅色のドレスを着たアマラは可憐な赤い花のよう、青い髪に青いドレスのフィリシアは清楚な青い花のよう。ダンスの曲がかかると、貴族の若者たちはこぞって二人の姫君に踊りを申し込んだ。
 フルートも数曲をアマラと踊った。アマラはポーッと上気した顔で、うっとりと金髪の王子に見とれていたが、その様子を見て国王夫妻がうなずき合っていることには、誰も気づかなかった。
 二日目は、鹿狩りだった。王妃とアマラは着飾って、狩りの獲物を待ち、点数をつける役。一方でフィリシアは、女性ではただ一人、狩りの班の中に組み入れられていた。
 弓矢の腕を見込んで、とのことだったので、フィリシアも文句はなかった。そして、実際に一番の成績をおさめて、皆から称えられた。
 三日目は、音楽会だった。アマラは鍵盤楽器がたいそう上手で、繊細かつ華麗な曲を弾きこなしてみせた。
「フィリシアお姉さまも、何か楽器をお弾きになりませんか」
 しばらく楽器に触れていないフィリシアはためらったが、断るのも非礼であるので、竪琴を弾くことにした。
「では、ぼくは笛を」
と、フルートが合奏を買って出てくれた。演奏は素晴らしかったので、人々は二人が音楽にも親しいことを喜んだ。
 こうして三日が過ぎて、夕食後。部屋に引きあげたフィリシアは、翌日の出発に備えて旅じたくを整えていたが、かすかに音楽が聞こえてくるのに気が付いた。今夜は、催しは何もないはずだけれど・・・。
 もっとよく聞こうと窓に近づいたとき、突然背後でしゃがれた声がして、フィリシアは飛びあがった。
「やれやれ、あんたたちまで、あの子を甘やかしてどうするんだい」

 

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