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  • (2017/4/29朝) そして、3月に続いて4月もまた、溶けるようにして消え去って行くのであった…。

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2011年3月

竜王の館(後編)(13)

 セレンはもう部屋に戻っており、ドアを開けてフルートの顔を見るや、何か仕出かしたと察して、黙って中に入れてくれた。が、話を聞き終わると、
「まったく何ていうばかなことを・・・」
 そう言ったまま、あきれかえってしばらくは二の句が継げない。フルートが不機嫌に、しかし反論のしようもなく黙っていると、そのうちやっと言葉を継いだが、
「本当に、どうしてそこまで鈍感になれるんだか」
「それは聞き飽きてる」
 フルートは憂鬱そうに言って、
「どうすればいいと思う?」
「どうって・・・謝りに行けよ。君が悪い」
「何を言えばいい?」
「少しは自分で考えるんだね」
 セレンは言ったが、テーブルの上に伏せてあったグラスを一つ取り、フルートに飲み物を注いでやった。
「まあ、今すぐ行けとは言わないから。それで・・・一体また何だって、彼女にそんなことを訊く気になったんだって」
 フルートはほっとしながらグラスを受け取った。素直に、
「彼、と、目が合ったんだ――つまり、彼女をさらった、竜王の息子だけれど」
 言葉を探しながら、ゆっくりと話し始める。
「とても奇妙な感じだった。静かだけれど強い視線で・・・ちょうど、初めて目にする敵を見るような・・・それにまるで、ぼくも彼を敵視しなければならないと言われているような――そんな感じがした。それがどういうことなのか、よくわからなかったけれど・・・でも彼が、フィリシアを手放したくなかったのだということだけは、とてもよくわかった。ずいぶん手厚くもてなしていたみたいだし・・・それで、思ったんだ。彼が、フィリシアに、とても、その、好意を寄せていて・・・もしかしたら、結婚の申し込みくらい、したのではないだろうか、とね」
「で? フィリシアのほうはどうなのか、も確かめたかった?」
「うん」
 セレンは、どうしたものだろう、という顔をしてフルートを見ていたが、
「そうだな・・・君が自分自身のことにも鈍感なことに疑いはないし。まあ、そのくらいで上出来と言うべきなんだろうな」
「・・・何だって?」
 フルートは怪訝な顔をしたが、セレンはかまわずに、
「謝る言葉をしばらく考えていればいい。ぼくは少し用があるから外すけれど、すぐ戻るから待っていて」
 フルートがため息をつきながら椅子の背に沈みこむのを確認し、セレンは部屋を出る。
 行先はもちろん決まっている。フルートにまかせておいたら、どんなことになるか知れたものではない。

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竜王の館(後編)(12)

 馬車の音を聞いたらしく、玄関口に、セレンが迎えに出てくれていた。フルートには軽くうなずいただけだったが、フィリシアには優しい声をかけてくれる。
「やあ、お帰り。元気そうだね、よかった」
「心配をかけてごめんなさい」
「とんでもない。君さえ無事ならいいんだ」
 にっこり微笑んで、
「そのドレス、とても似合っているね。フルート、君もそう思わない?」
「え、ああ、うん」
 フルートは曖昧な返事をした。セレンはちらりとフルートをにらんだが、
「部屋の案内は任せるよ、フルート」
「ああ。おいで、フィリシア。君の部屋は取っておいたから」
 階段を上っていく二人を見送って、セレンは階下に残り、部屋と日にちの確認をするために帳場に足を向けた。
 さて、フルートは、フィリシアを部屋に送り届けて、ドアの前で、なるほど華やかな彼女の服を見ながら、気にかかっていたことを尋ねずにはいられなかった。
「フィリシア。君をさらった竜王の息子は、ずいぶん君を大切にしていたんだね」
「・・・ええ」
 フィリシアはためらいながら答えた。フルートは続けて、
「もしかして、君は求婚されて――?」
「・・・ええ」
「やはりね」
 フルートは納得の行った顔をした。そして、フィリシアがいつのまにかうつむいてしまっていることには気づかずに、軽口でもたたくように、
「どうして承諾しなかったんだい」
 ・・・言ってしまってから後悔したが遅かった。はっとフルートを見上げたフィリシアの、青い瞳がみるみるうちに潤んで来たかと思うと、涙がぽろぽろとそのほおを伝い始めたのだ。
「フィリシア」
 あわてて謝ろうとしたフルートをフィリシアが制した。顔を伏せ、
「あなたが悪いのではないわ。何でもないの」
「でも君」
「ごめんなさい・・・失礼させて。気分がすぐれないの」
 もちろん、それを止めることなどできはしなかった。フィリシアは部屋に入ってしまい、フルートは自分の部屋に戻り――が、すぐに途方に暮れてしまった。以前、国境近くのごたごたで彼女を泣かせてしまった時は、彼自身が軽い怪我を負ったことで自然に紛れたけれど、今度は・・・。
 それで、彼は仕方なく、相談しようとセレンの部屋を訪ねて行った。

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竜王の館(後編)(11)

 次の問題は、ミルガレーテをどのように呼び出すかということだった。セレンは彼女を知らなかったし、フルートとゼラルドは数えるほどしかこの姫に会ったことがなく、ただ、彼女が古代レティカの宝剣に関係が深いということと、新月を過ぎてから満月までの間にしか現れないということを知っているだけだったのだ。
 彼らはともかくも、欠けてゆく月が再びふくらみ始めるのを待った。そのうえで、フルートとゼラルドは、以前自分たちが剣を合わせたときのことを覚えていたので試してみたが、二人が敵対していないためだろう、呼び出す効果はないようだった。しかし、なにしろ手がかりは黄金の剣だけで、フルートは試みに剣で自分の手を傷つけ・・・そして今度こそどんぴしゃり、動転したミルガレーテを呼び出すのに成功した。剣は持ち主の血に反応して異変を伝えたのだ。
「それで、セレンにももう紹介したんだ。呆然として見とれていたよ!」
 フルートが笑いながら言う横で、ミルガレーテは頬を染めている。
「え? だって、剣の持ち主にしか・・・」
「うん、それがね。前に話したことがあるだろう、セレンが抜けない剣を持っていることを。使っていたほうの剣をこの前だめにしてしまったから、新しいのを手に入れるまで身に付けていたらしいのだけれど、それが抜けるようになったんだ。やはり、ぼく達と同じ、ミルガレーテの剣だった」
「どうして今まで抜けなかったのかしら?」
「私にもわからないの」
と、ミルガレーテが応じた。
「あの剣は人を選ぶから、これまであの人が何か条件に合わなかったのかもしれないけれど。でも・・・よくわからないわ」
「単純に、その時が来た、ということじゃないのか」
 フルートは言いながら、馬車の窓からちらりと外を見やった。
「そろそろ着くよ。大きなところに泊まり替えているから、しばらくはゆっくりできると思う」
「ええ。ありがとう」
 フィリシアは感謝をこめて言った。
「二人とも、今日は本当にありがとう」
「何を改まって」
 フルートが笑った。馬車が止まって、御者がドアを開けに来てくれる。
「じゃあね、フィリシア」
 そのドアが開く前に、ミルガレーテはささやいて、ふっと消えてしまった。もとから御者は、ミルガレーテについては馬車に乗るところも見てはいない。二人を降ろし、約束の代金を弾んでもらうと、御者は丁寧に礼を述べ、また御者台に座って、馬車を走らせて行ってしまった。
 フルートとフィリシアは何となく目を見交わして、何となく微笑みあい、仲良く並んで建物の玄関に歩いて行った。

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竜王の館(後編)(10)

 地上に着いたのは夕方だった。辺りには人ひとり見えなかった。船は、三人を降ろすと溶けるように水中に消えて行った。
「・・・気のせいかしら」
 フィリシアは周りを見回して言った。
「なんだか・・・沼が大きくなったみたい」
「ああ。ものすごい雨だったから」
 フルートが答えた。表情を曇らせて、
「雨を降らせたのは竜王の息子だと聞いたけれど、乱暴な雨だった。川が氾濫して街外れの橋も渡れなくなったし、作物も、根こそぎ取られて大変なことになっている」
「そうなの・・・」
 フィリシアは驚きを浮かべてそう言った。竜王の息子が自分にかまけて他のことを顧みなかったと知るのは、胸の痛むことだった。
「彼はもっと周りのことも気にかけたほうがいいだろうとは思う」
 フルートが、せいいっぱい控えめな言い方で意見を述べた。自身がいずれ一国を預かる立場であるだけに、身につまされているのに違いなかった。
「そうね」
 フィリシアは同意した。本当にその通りだと思ったのだった。
 近くに馬車が呼んであった。三人はそれに乗って、街へと揺られて行った。馬車の中では、船にいた時よりはずっと話が弾んだ。話題になったのはもっぱら、今日までにどのような過程があったのかということだった。
 フルートの話によれば、フィリシアが沼の中にさらわれたことは、案外すぐにわかっていた。雨乞いの翌日の午後、村人がフィリシアの馬を連れて、豪雨の中を街の宿屋まで教えに来てくれたのだ。フルートは知らせを聞いて驚いたが、まずは合流した友人たちと相談した。
 問題はそこからだった。ゼラルドが言うには、竜王のように人知を超えた者たちは、おのおの固有の空間領域を持っており、そのような別世界に人間がこちらから入って行くことは不可能だというのだった。彼は雨が降りだしてから三日目に、豪雨を見かねて部屋で何かの儀式をおこない、雨をやませてしまったのだが、その彼にすら、境界を越えることはできないのだと。頼みの綱は、フィリシアの友の<光り姫>、人間界と妖精界のあわいに住まうミルガレーテだけだということになった。

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竜王の館(後編)(09)

 ・・・偉大なる竜王とその妃に挨拶を述べて別れた後、館を出て船着き場に向かう途中、フィリシアは振り返り、初めて、この大きな館とその離れの全貌を目にすることができた。足を止め、見上げるようにして建物の輪郭をなぞり、傍らのミルガレーテに、
「私がいたのはあの辺りだったのね」
と、離れのほうを指差すと、ミルガレーテは、
「そうね」
と言って、しばらく一緒に眺めていてくれた。
 やがてまた彼女達は船着き場の方へと足を向け・・・すると、向こうの桟橋では、先に行ったフルートも、まだそこに立ったまま、どうやら顔を上げて竜王の館を眺めている様子なのだった。雅やかな装いの、すらりとした体をわずかにそらせ、見事な金髪を水底の不思議な風に吹かせて、彼はじっと、何か館の上のほうを見つめていた。
「フルート?」
 フィリシアは声をかけながら近づいて、自分も振り返ってその視線を追ってみたがおかしなものは見当たらず、フルートはその彫像のような姿勢を崩して、別に何の変わった様子もなくフィリシアに笑いかけた。
「もういいのかい」
「ええ」
「では行こう」
 桟橋の下で揺れている船は、元々がここは水底であってみれば、まるで風に揺れているようにしか見えなかった。深い青色に塗り上げられた、十人ばかりが乗れそうな船。
 ミルガレーテが教えてくれたところによると、この<水の船>というのは、本来は、水底と地上とを、人間が呼吸できるようにつなぐことはできないそうだった。魔法の領域に近しい彼女がいるのでこれが使えるのであり、そうでなければ人の行き来には<風の船>が使われるのだという。<風の船>はもっと明るい青に塗るの、と、光り姫は微笑んだ。
 ミルガレーテが最後に乗ると、船は上に向かってゆらりと出発した。大きな荘厳な竜王の館は、みるみるうちに遠ざかり、やがて小さくなって見えなくなった。船の上では三人とも、ほとんど口をきかなかった。時折、魚が目の前を過ぎて行き、彼らが今どんなに不思議な体験をしているかということを思い出させた。
 水の中はとても静かだった。そして、何もかも、もはやうつつのこととは思われなかったのだった――。

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竜王の館(後編)(08)

「ありがとう、姫」
 竜王の息子が静かに言うと、フィリシアは真面目な顔でその顔を見上げた。
「わたくしはあなたを忘れませんけれど」
 彼女は表情を動かさずにそう言ったが、その、どうかすると冷ややかとさえ言えそうな声の中には、抑えられた豊かな感情と、紛れもない真実の響きがあった。
「でもあなたは・・・早く、わたくしをお忘れになってください」
 それは、フィリシアの「答え」だった。竜王の息子は、それを受け止めた。
「・・・あなたは優しい方だ、姫。それに賢い」
 竜王の息子は穏やかに――内心では千々に思い乱れていたのだが自分でも不思議なほど穏やかに――言った。
「努力はするが・・・姫を忘れるのはずいぶんな難題だな」
 フィリシアは黙って目を伏せた。竜王の息子はそっと手を上げて、その青い髪に触れた――そして、逃げないでくれている姫君の信頼を裏切らないように、すぐに手をひっこめた。
「では、お別れだ、姫」
 フィリシアは目を上げて、もう一度竜王の息子を見つめた。締め付けられた感情のたがが、今にも外れて泣きだすのではないかという顔をしていたが、それでもそうはならなかった。彼女は危ういバランスを保って表情を崩さないまま、優雅に深々と一礼し、
「――本当にお世話になりました」
 かすれた声でそう言った。竜王の息子はぐっとこぶしを握った。
「・・・うむ。元気で、姫」
「貴方様も」
 二人とも、それ以上は何も言えなかった。フィリシアはナミのほうに手を差し伸べ、ナミは、これはもうぽろぽろと涙を流しながら、近くに寄ってその手を取った。フィリシアはもう一度だけ軽く頭を下げ、そして、もう視線を合わせることはせずに、竜王の息子が見守る中を、向きを変えて出て行ったのだった。

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竜王の館(後編)(07)

 竜王の息子は身をかがめてドレスを拾い上げた。
「繰り返せば何着でも出てくる。この部屋とつながっているのだ。ナミが取り仕切る」
「でも、私」
「用が済んだら、服の上から、また三回叩く」
 ドレスを突き付けられて、フィリシアはやむを得ず言われたとおりにした。さっきと逆の現象が起こり、ドレスは紫色の煙となって、くるみの中に吸い込まれてしまった。
「これを姫にあげよう」
「そんな、私、いただけません」
「なぜだ?」
「だって、私・・・」
 フィリシアは言いよどんだが、思い切って言った。
「私は、あなたを振り切って帰ろうとしているのです。それなのに、こんなことまで・・・。一度も袖を通していないのですし、私などよりドレスの似合う方はたくさんいらっしゃるでしょうに」
「ナミに聞いてごらん」
 フィリシアはナミを振り返った。ナミは決然とした面持ちで、
「わたくしも、わたくしの同僚たちも、姫さまに着ていただくために縫ったのでございます。姫さまがお召しになってくださらないなら、どなたに差し上げるつもりもございません」
「でも、私にその権利はないわ!」
「姫」
 呼ばれて、フィリシアは竜王の息子に向き直った。竜王の息子は真剣な様子をしていた。
「私は姫を忘れないだろう。何十年も、何百年も。だが、姫は・・・姫は、私を覚えていてくれるつもりはあるのだろうか?――もし」
 フィリシアの答えも聞かずに、おおいかぶせるように続けて、
「もし姫が、少しでも私のことを覚えていてもかまわないと思ってくれるなら・・・受け取ってくれないか」
 フィリシアは竜王の息子の青い青い瞳を見つめた。それから、視線を落として手の上の魔法のくるみを見た。しばらく沈黙し、そうして、やがて言った。
「首にかけておけるように、紐を付けていただけますか」
「かしこまりました」
 ナミがすぐに進み出て、フィリシアからくるみを取り上げた。服のどこかから針を取り出し、銀の紐を通してくるみに当てると、針はすうっとくるみを突き抜ける。はさみで切って、紐を結び、細い指できゅっとしごくと、結び目はわからなくなってしまった。
「どうぞ、姫さま」
 フィリシアは受け取って、首にかけ、くるみをドレスの胸元に落とし込んだ。

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竜王の館(後編)(06)

 竜王の息子は、いくぶん自嘲的に続けた。
「しかし、姫。あなたが光り姫と親しかったとは知らなかった。私も運が悪いな」
「ミルガレーテのことですのね。あなた方とはどういうお知り合いですの」
「おや、姫は知らないのか」
「あの人は妖精を統べるのだ、としか」
「妖精を・・・そうだな、それだけではなくて」
 竜王の息子は言いかけたが、ふと気づいて、
「だが、それは光り姫に聞けばよい、姫。あまり時間もないし・・・光り姫自身が話していないのなら、私などがどこまで話して良いものかも、私にはわかりかねる。ともかく、あなたと光り姫はたいそう親しいようだから。光り姫は、自分が交渉すると角が立つと見てか、形式上、あの・・・人間、に、口添えするという形で見えたようだが。そう、あの人間は・・・その、姫。あなたとは」
 竜王の息子は口ごもった。
「はい?」
「その・・・いや、何でもない」
 竜王の息子は迷ったあげくに、その質問を飲み込んだ。そして、代わりに、
「姫。それで、ナミが姫をここに連れて来たのは、姫と私を会わせるためだけではなくて、そもそもナミが言いだしたことなのだが、姫にこの」
 軽く手を振ってドレスの一群を示し、
「服を持って帰ってもらおうと思ったのだ」
「え・・・ええっ?」
 フィリシアは思いもかけないことを聞いてびっくりした。竜王の息子は気にかけず、
「手を出して、姫」
 フィリシアが不安げに手を出すと、その手に小さな丸い物を乗せた。ごくありふれた、しかし、こんな水底にはいささか不似合いな気もする――
「――くるみ?」
「そうだ。叩いてごらん、三度」
「叩くって・・・」
「たとえばそこの壁で」
 フィリシアはおそるおそるくるみを壁に打ちつけ、
「もっと強く」
 言われて、もう一度やり直した。すると・・・くるみはぱっくり口を開け、しゅうっと音を立てて中から紫色の煙が立ちのぼり、煙は空中でもやもやと凝り固まって・・・最後にぱさっと音を立てて、フィリシアの足元に、確かに一度は見たことのある、薄紫のレースのドレスが落ちた。

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竜王の館(後編)(05)

 曲がりくねる廊下に沿って、白い壁が、濡れたように光りながらでこぼこと続いていた。廊下も壁も、おかしな具合にゆがみ、傾いていたが、しかし、それらはそれゆえにいっそう、美しさと威厳を増しているように見えた。
 そして、いまさらながらフィリシアが気づいてみると、彼女は今まで、部屋から一歩も出たことはなかったのだった。彼女はともかくも囚われの身で、いかに丁重にもてなされていたにしても、実質的には軟禁状態に置かれていたのだ。部屋から出ることは固く禁じられていて、それが気にならなかったのは、ひとえに、たとえ部屋の外に出られたとしても地上につながる道は無いと知っていたから、だった。
 フィリシアがそういったことに改めて思い至り、感慨にふけりながらナミの後について歩いて行くと、ナミはそれほど長くは歩かずに、ひとつの部屋の前で立ち止まり、鍵を出して扉を開けた。中に入って、
「どうぞ、姫さま」
と、招き入れる。
 フィリシアが中に入ると、そこは衣裳部屋だった。見渡す限り、ぎっしりと服がしまいこまれ、狭い通路がかろうじて区画を分けている。その手前側の一角には、明らかに真新しいとわかるドレスの一群があった――フィリシアのために作られた服に違いなかった。
 そして・・・服でいっぱいのその部屋の、わずかに空いた空間に、誰あろう竜王の息子が、所在無げに立って、きまり悪そうな様子でフィリシアを見ていたのだった。
「まあ」
 フィリシアは思わずナミを振り返った。
「お許しくださいませ」
 ナミはうなだれたが、竜王の息子が口をはさんで、
「姫。それを責めないでやってくれないか。私のためにしてくれたことなのだ」
「責めるなんて、そんな・・・とんでもない・・・でも・・・」
 フィリシアはうろたえて口ごもった。竜王の息子はかすかに笑った。
「私と話をするのはお嫌ですか、姫?」
「まあ、いいえ!」
「では、少しくらい付き合ってくれても良いはずだ。あなたはもう行ってしまうのだから」
 竜王の息子はつぶやくように言った。フィリシアは何と答えればいいのかわからなかった。

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竜王の館(後編)(04)

「いや、失礼をお許し願いたい。あやつには後でよく言っておきますゆえ」
 竜王は改めてフィリシアに言って、なおもしばらく彼女を見つめていたが、やがてついと視線をそらし、ミルガレーテに向かって、
「それでは、みなさん、すぐにお帰りになりますかな」
「ええ。また船をひとつ、用意していただけますか」
「お待ちになってくださるなら、もてなしもさせるし、風の船も用意させるが」
「来る時も水の船で来ました。水の船で結構です、わたくしが同乗します」
「さようか。では」
 一行はぞろぞろと部屋を出たが、するとそれへ、
「お待ちくださいまし!」
 悲鳴のような声が追いすがって来た。
「後生でございます・・・姫さま!」
 それは、いつのまにか姿を消していたナミだった。ナミは追いかけて来ると、振り返って立ち止まった一行の前にひれ伏して、
「ご無礼をお許しくださいませ。けれども、わたくし・・・わたくしは」
「少しお時間をいただけますか」
 フィリシアはたまらなくなって竜王を振り返った。竜王は重々しくうなずいた。ミルガレーテが歌うような声で、
「それなら、私達は向こうのお部屋に行っているわ。お話が終わったら・・・」
「はい、わたくしがお連れいたします」
 ミルガレーテに答えて、ナミが必死の形相で言った。
「必ずお連れいたします、光の姫さま」
 ミルガレーテはにこりと笑った。フィリシアはナミのそばに寄って、やさしく彼女を助け起こした。
 じゃあ、とミルガレーテはフィリシアに微笑みかけ、他の皆を促して向こうへ去って行った。
「さあ、ナミ」
 あとに二人残されて、フィリシアはナミを立たせると、いつものように穏やかに微笑んでその手を取った。ナミは顔を上げて、
「姫さま・・・」
 言ったまま絶句したが、やがて気を取り直し、そっと手を引くと涙をぬぐった。
「姫さま。わたくし、姫さまに差し上げたいものがあるのです。どうぞ、こちらへ」
 ナミはそう言って、先に立って歩き出した。

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竜王の館(後編)(03)

「おお・・・これはこれは」
 ややあって、遅れて入って来たのは、これは今度こそ、偉大なる竜王その人とその妃だった。そしてその後ろに――たぶん今しがた合流したのだろう、竜王の息子が、打ちひしがれた様子で立っている。彼は目を上げて、ミルガレーテから離れた青い髪の姫君を食い入るように見つめた。フィリシアはその視線を避けて目を伏せた。
 竜王が言葉を続けていた。
「では、倅の奴め、本当に・・・。いや、ご友人には実に失礼なことをした、光り姫。お許し願いたい」
 ミルガレーテに軽く頭を下げる。白髪と長い白い髭をした、おそろしげな顔の王であったが、見かけよりはずっと話のわかる賢い王であることは、その言葉の端々から察することができた。
 ミルガレーテは上品に挨拶を返し、
「いいえ。こちらこそ、いろいろと勝手ばかり申しあげて、申し訳ありませんでした。友人も良い待遇を受けておりましたようで、改めて竜王様ご一族のお心遣いに感謝いたします」
「なんの、勝手にひっさらって来ておいて、待遇も何もあったものではない。誠にすまなかった」
 竜王はそう言って、フィリシアのほうに目を移した。フィリシアは、努めて心を落ち着かせようとしながら、うつむき加減にそこに立っていたのだが、気が付いて目を上げ、静かに会釈を返した。竜王はそれを鋭い目で眺め、
「ほう。なるほど、これはお美しい方だ。このたびは倅が失礼をしたが、許してやってくださいますかな」
 フィリシアは初めて竜王と話すのに緊張したが、何とか微笑らしきものを浮かべて、優雅にお辞儀した。
「ご子息様には、何から何まで、すっかりお世話になりました。今こうして、元いた場所に帰していただけます以上、何をお恨みすることがございましょうか」
「さようか。そう言っていただけるとありがたい――おお、これ、どこへ行くのだ」
 最後の言葉は、くるりと背を向けて立ち去った息子に向けられたものだった。フィリシアの胸がずきりと痛み、彼女は切ない思いでうつむいた。あの方には、もっときちんとお礼がしたかったし、お別れも言いたかったのに、と彼女は思った。

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竜王の館(後編)(02)

 考えているうちに、騒ぎはどんどん近付いて来た。侍女たちの声が聞きとれる――そう、たしかに「竜王様」と聞きとれる。「でも若様が」とも。つまり、この水底の主たる竜王が、息子の管轄である離れに、断りなしに入って来ているのだ。
 フィリシアはだんだん不安になって来た。気を励まして背筋を伸ばすと、ドアがバタンと開いて、ナミが飛びこんで来る。真っ青な顔に絶望の表情を浮かべて、この侍女は、敬愛する姫君のために、ただそれだけのために、健気にもかすれた声を振り絞って客の来訪を告げた。
「姫さま・・・ご友人が!」
 それは、ほとんど悲鳴だった。え?と、フィリシアが問い返そうとしたときには、しかし、すでに、開いたままの戸口に、訪れて来た人が姿を見せていた。
 ――夢にまで見た人が、そこに立っていた。
「フィリシア。・・・よかった」
 どこにいても彼を際立たせずにおかない、涼やかに冴え返った清冽な空気。水底のたゆたいを吹き払う、目の覚めるように鮮やかな存在感。――白と金色を基調とした、ほぼ正装に近い服装で、フルートは当たり前のように凛然とそこに立ち、厳しかった表情にほっと安堵の色を見せて、親しい姫に手を差し伸べていた。
「迎えに来たよ」
「・・・フルート!」
 フィリシアはとうの昔に椅子から立ちあがって、自分の目が信じられないという顔でその場に立ちすくんでいたのだが、呪縛が解けたように足を踏み出し、何歩か歩いて、つまずいて倒れそうになった。
「おっと」
 フルートがあわてて前に出て受け止める。フィリシアは緊張の糸が切れて、そのまま彼に抱きついて泣きだしてしまった。
「フルート・・・もう二度と会えないかと思っていたの!」
 金髪の王子は抱きつかれて少し困ったふうだったが、悪い気はしなかったし、もちろん突き放すつもりもなかったので、ぎこちない手つきでそっとフィリシアの髪をなでた。そして、しかし、そうしながらも、後から入って来たもう一人を振り返って助けを求めずにはいられなかった。
 妖精を統べる<光り姫>は、笑いながらフィリシアの髪を引っ張って呼びかけた。
「ねえ。私は?」
 フィリシアは二度びっくりして、フルートから離れ、この友達に向き直った。
「ミルガレーテ! まあ・・・何てきれいなの!」
 <光り姫>は、クリーム色のふわふわしたドレスの上に、光り輝く金の髪を波打たせて、世にも美しい微笑みを浮かべていた。
「あなただって」
 ミルガレーテは言って、フィリシアの手を取り、不思議な金色の目で、じっとフィリシアの目をのぞきこんだ。
「無事で良かった! ごめんなさいね、遅くなってしまって」
 そうして二人の姫君は、やっぱり感極まって、抱き合ってしばらく離れなかったのだった。

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竜王の館(後編)(01)

 竜王の息子の求婚をつらそうに退けたその翌日、フィリシアは、おそらく前の晩に寝付くのが遅かったのだろう、珍しく朝ゆっくりと起きて来たが、それでも、ささやかに食事をとった後は、いつもと変わらない穏やかな様子で、ナミを相手にとりとめのないおしゃべりをしていた。
「私、もっと普通のお洋服が欲しいわ」
と、フィリシアが言っていた。
「もちろん、毎日ご辞退しているドレスが嫌なわけではなくて、あなたの縫ってくれたこのドレスも、とても素敵で気に入っているのだけれど、でも、こんなに華やかな、舞踏会に着て行くようなドレスばかりではなくて、もっと普段着のようなのを作ってもらえないかしら」
「まあ、姫さま」
 ナミは縫物の手を休めて顔を上げ、驚いたようにそう言った。この姫君が何かを欲しいと言ったのは初めてのことだったし、普段着が欲しいという言葉がどういう意味かということくらいは、この侍女にもわかった。
「いけない?」
「とんでもありません」
 ナミは急いで言った。思わず顔をほころばせて、
「すぐにお作りいたします。明日にはもう、それは着心地のいい、動きやすい服を着ていらっしゃいますわ」
「ありがとう」
 フィリシアはにっこりと笑った。
「私もいつまでもお客様ではいられないものね」
 和やかな空気が辺りに漂った・・・と、そのとき。
 廊下が不意に騒がしくなった。それほど近くではなかったが、静かなこの離れでは、向こうで何か起こっているらしいことが、こちらにもよく伝わって来た。
「何かしら」
 フィリシアは不審げにナミの顔を見た。ナミは緊張の色を浮かべて、しばらく耳を澄ませていたが、
「わかりません。姫さまはここにおいでくださいまし、わたくしが見て参ります」
 立ちあがって出て行った。騒ぎはだんだん近づいて来るようだった。
 「偉大なる竜王様」が、ご子息の過ちに気付かれたのかしら――と、フィリシアは何とはなしにそう思った。人間の娘などにうつつを抜かして、と。もしそうなら、しゃんとして、あの方の恥にならないようにしなければ。そうして、地上に帰してもらえればいいのだけれど・・・そうはいかないのでしょうね。一体、「偉大なる竜王様」というのは、どんな方なのかしら。

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作者より:「竜王の館(前編)」

そこは嘘でも「キライよ。帰りたい」と言い通さなくちゃcoldsweats01
それができないフィリシアを、愛すべきお姫様として描けていれば良いのですが。

前編終了~。
リアルタイムで読んでくださっている皆様、長丁場おつかれさまです&ありがとうございます!
あと半分ありますが、この話に飽きている場合はコメントしていただければ、別の話を挟むことも、できることはできます。
特に不都合がないようなら、次回から後編へ。
次回更新は、(今日更新した代わりに水曜お休みして)週末を予定しています。

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竜王の館(前編)(16)

「姫さま、それは・・・」
 ナミは、奇妙な顔をした。そして、おそるおそる言った。
「姫さまには、もしかして、どなたか将来を約束されたお方でも、いらっしゃったのではありませんか?」
「・・・いないわ」
「では、向こうに誰か、お会いになりたい方がいらっしゃるでしょう!」
「ええ。それならいるわ」
 フィリシアは素直に認めた。ナミが待っている様子なので補足した。
「私、お友達と、旅をしているところだったの。今頃、みんな心配しているわ」
「姫さま、でも、それは」
「ええ。わかっているわ」
 フィリシアはもう泣くこともなく、静かに続けた。
「さっきね、考えていたの。私がここにこうして連れ去られて来てしまって、帰してもらえる見込みもなくて、もう十日も経つわ。でも、何もできなかったし、何も起こらなかった。だから、本当なら、もうあきらめるべきなんだわ。みんなだって、もう、あきらめて、行ってしまったかもしれない。私がどこにいるのかだって、わかっていないのかもしれない。たぶん、私はもう、帰れない。だから」
 しばらく黙って、それから続けた。
「だから、たぶん・・・このまま何年か過ぎて、それでももし、あの方のお心が変わっていなかったら、私はきっと・・・あの方に、はいとお答えするようになるわ。でも、今はだめ。私をここに力づくでさらって来た方の妻になるには――それが私を想ってくださるがゆえにだったとしても――、私のこの、帰りたいという思いが、消えるのを待たなければならないんだわ」
 そしてまたしばらく沈黙して、やがて締めくくった。
「私ね。そんなことはあり得ないと言われてしまうでしょうけれど・・・それでも、まだあきらめられないの。心のどこかで、いつも思っているの。もしかしたら・・・誰かが迎えに来てくれるのではないかしら、って」
 もちろん彼女は知る由もなかったが、まさにこの夜、地上では、やっと救出の手筈が整って、友人たちは祈るようにして彼女の無事を願っていたのである。

(前編 完)

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竜王の館(前編)(15)

 ・・・遠くでは、まだ踊りの音楽が聞こえていた。奏でられているのは知らない曲だった。
 辺りはずいぶん暗くなっていて、フィリシアはやっと落ち着くと、涙をぬぐってベッドの上に体を起こした。
「姫さま」
 いつのまにか、ナミが傍に控えていた。優しい、いたわり深い声だった。
「明かりをお入れしましょうか」
「ナミ・・・。ええ、そうね、少しだけ、明るくしましょう」
 フィリシアがぼんやりと座って待っていると、明かりを点け終わって戻って来る。
「姫さま、わたくし、お側にいてもよろしゅうございますか」
「もちろん。あなたさえそれでいいのなら」
「お食事はどうなさいますか。もう届いておりますが」
「そうね、でも・・・あとにしたいの」
「かしこまりました。――ああ、そうですわ」
 ナミは、ふと向こうのほうへ行くと、花束を持って帰って来た。
「姫さま、これを」
「きれいなお花! 一体・・・」
 フィリシアは言いかけて、思い当たって言葉を切った。ナミはためらいながら、
「はい、若様からのお届けものでございます。ご覧になりますか」
 フィリシアは差し出された花束を見た。こんなことには不慣れだろう竜王の息子が、どこでどんな顔をして調達してきたものか、実に絢爛たる花束だった。
「ええ。見せてちょうだい」
 フィリシアは手を伸ばして受け取った。ふうわりと良い匂いがした。また涙が浮かんで来て、彼女は少し狼狽し、花束をそっと横に置いてハンカチを目に当てた。
「姫さま」
「ごめんなさい、何でもないの」
「姫さま・・・」
 ナミはしばらくためらった。それから、思い切って、そうっと尋ねた。
「あの、お気を悪くなさらないでくださいましね。その・・・姫さまは、うちの若様の、どこがお気に召さなくていらっしゃるのですか」
 フィリシアははっと顔を上げると、何ともいえない困った表情でナミを見た。
「もしかして、さっきのお話・・・聞こえていた?」
「はい・・・申し訳ございません」
「謝ることはないわ。・・・ナミ、私ね」
 フィリシアの声が震えた。
「私ね、わからないの。わからないの・・・自分でも」
 フィリシアの目にまた涙があふれ、彼女はナミの手前、必死になって泣くまいとした。
「とても良い方だと思うわ。優しい方だし、まっすぐなご気性で・・・私のことを本当に良く思ってくださってる。政略結婚でどこかに嫁ぐより、あの方に望まれて妻になるほうが、ずっと幸せなことだと思うわ。でも・・・でも、私」
 フィリシアは低く、叫ぶように言った。
「帰りたいの! ここで幸せな生活が送れるとわかっていても、それでも、どうしても帰りたいの! だから、どうしても、はいとは答えられなかったの!」

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竜王の館(前編)(14)

「あの・・・どうかなさいましたの?」
 フィリシアは、じきに竜王の息子の様子に気づいた。その明るさは自然に少しかげり、彼女は警戒心を起こしかけながら、それでもまだ親しさは打ち消せないまま、おずおずとそう訊いた。
「姫・・・」
 竜王の息子の胸に、その時、抑えきれない感情がつきあげた。
「姫――!」
 彼は、やにわにフィリシアの前に膝をついた。呆然と立ちすくむフィリシアの前に深々と頭を下げ、つけこんだりはしないとさっき言ったばかりにもかかわらず、
「結婚してください、姫――お願いだ」
 そう言った彼の声は、思いつめて悲痛だった。顔を上げ、彼はフィリシアの青ざめた顔を見た。彼の顔に、苦悩の表情が浮かんだ。
「姫!」
 青い髪の姫君は、血の気の引いた唇を半ば開いて、絶望の色の瞳を彼のほうに向けていた。その様子は、拒否ではなかった――一度開かれた心は、そんなに急には閉ざされ得なかった。ただ、衝撃と、深い葛藤が、その心に吹き荒れていたのだった。
「・・・私」
 不意に、その顔に感情の色が揺らいで、姫君はかすれた声を押し出した。
「姫」
「私・・・」
 彼女は苦しそうに竜王の息子を見て・・・ゆっくりと首を振った。
「姫!」
「お願いです・・・一人にしてください」
 フィリシアは目を伏せた。
「姫!」
 竜王の息子の懇願するような声。
「ごめんなさい・・・お願いです」
 やっとのことで絞り出されたささやき声だった。竜王の息子はもはや何も言わなかった。ただ、ひざまずいたまま、やがて静かにフィリシアの手を取った。フィリシアはびくっとしたが、手を引きはしなかった。
「すまなかった」
 竜王の息子は、あらん限りの自制心で激情を抑えて低く言った。
「待つと言ったのに、私が悪かった」
 そして、フィリシアの手にそっと唇をふれた。その手が逃げなかったことだけが、彼にとってはささやかな慰めだった。彼は立ちあがった。
「それでは、姫」
 彼はみじめな気持ちで言った。
「どうか、今日のことは忘れて――私のことを嫌わないでください」
 言葉を切って、ひとりごとのように続けた。
「私は忘れないが。決して」
 姫君は下を向いたまま顔を上げなかったが、かすかにうなずいたように見えた。竜王の息子は黙って、悲しそうに姫君を見やり、身をひるがえして部屋を出て行った。
 フィリシアは重い足取りで隣の寝室に戻り、ベッドの上に身を投げて、わっと泣き伏した。

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竜王の館(前編)(13)

 竜王の息子が言い淀むのへ、助け船を出して、
「どんな方達がおいでですの」
 聞くと、彼は気の向くままに話してくれた。どこの湖の貴族が気難しくて、どこの川の妖精が気立てがいいか。彼のどの伯父が威張り屋で、どの従姉が賢いと評判か。話の中には、フィリシアの知っている地名もあれば、およそ耳慣れない響きの地名もあった。他愛ない話ではあったが、案外おもしろかった。そうしているうち、また音楽が変わった。
「おや、これも・・・姫は踊れるのか」
 竜王の息子が、いったん踊りやめてフィリシアに訊いた。
「はい、踊れます」
 答えてから、フィリシアは質問の意味に気付いた。これも内陸の曲ではあるが、難しい曲なのだ。だんだん速度が速くなるので、最後のほうは踊れなくなる者が多い。城の舞踏会では、もっぱら若い者達が、競って踊っていたものだ。フィリシアは好きな曲だった。
「それは良かった」
 竜王の息子がにっこりと笑ったところを見ると、彼も別に不自由することはないらしい。二人は部屋の中央に出て、音楽に合わせて踊り始めた。
 ゆっくりとステップを踏んで振り付けが一巡すると、どうやらこの水の底でも、複雑なステップは地上とほとんど同じものらしく、二人はほっとしてお互いに微笑みかけた。それから先は、二人とも安心して踊り続けたが、いくら得意な曲ではあっても、旋律が次第に速まるにつれて口数は減っていき、しまいには黙って、けれど楽しげに、くるくると踊り続けることになった。浮き立つような軽やかな音楽は、どんどん、どんどん、速くなっていく。もっと速く――もっと速く――もっと速く!
「すてき・・・!」
 くるくると、くるくると踊り続けて、やっと音楽が派手な和音を響かせて終わったとき。息を切らせながら相手に笑いかけたフィリシアの、その上気した顔にも、青い澄んだ瞳にも、ついに、ここしばらくの憂鬱は、もはや影も留めてはいなかった。彼女はすっかり興奮して、無邪気な喜びと素直な称賛を、輝くばかりの笑顔でこのパートナーに振り向けていた。
「あなたはとてもとても、とても上手に踊られるのね! もっと速くなったって踊れたわ――素晴らしいわ!」
 この手放しの喜びように、竜王の息子は、少しひるんだようだった。彼は、愛しい姫君が急速に心を開いてくれていることに驚き、正直なところ、どうしたらよいのかわからなかった。彼はその端正な顔に、胸のつかえたような何ともいえない表情を浮かべて、ただまじまじと姫君の顔を見つめていた。いま何を言うべきなのか、どんなふうに振舞うべきなのか、彼は全く思いつくこともできなかった。

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竜王の館(前編)(12)

「その・・・私と踊ってくれませんか、姫」
 ついに――思いあがってはいけない、と自らを戒めつつ、竜王の息子は言った。唐突に言われて、青い髪の姫君は驚きもし、ためらいもしたようだった。
「わたくし、この曲は存じません」
 別に断られても構わなかった。この姫が彼の前でこのまま生き生きとしていてくれさえすれば。しかし、そのとき音楽は変わり、新たに奏でられ始めたのは、彼もそうと知っていたのだが、この水の外、人間の世界で使われている踊りの曲だった。
 姫君もこの曲を知っている証拠に、その優しい顔には困ったような表情が浮かんだ。竜王の息子は空のグラスを侍女に渡し、立ちあがって姫君に手を差しのべた。
「この曲は?」
 青い髪の姫君は彼の顔を見上げた。しばらくの沈黙ののち・・・彼の胸は喜びではじけ飛ぶかと思われた。
「ええ、それでは」
 姫君は内気そうに微笑んで、そっと彼の手に手を預けたのだ。
 侍女たちは姫君のグラスを片づけ、姫君が立つと、二つの椅子を片づけた。そして、お互いに目を見交わして、ナミを除き、深々とお辞儀して部屋を出て行った。フィリシアが気づいて心細そうにナミを見やると、ナミは安心させるように、
「わたくしはすぐ隣の部屋に控えておりますから、姫様。何かあったらお呼びくださいませ、飛んで参りますわ」
 そう言って、一礼すると、続きの小部屋へと引っ込んだ。フィリシアは不安そうな、いくぶん後悔しているような顔になったが、
「姫、姫。踊ってくれるね」
 笑って呼ぶ心配そうな声に向きなおり、あきらめて、
「ええ」
 リードされて踊り始めた。ゆるやかな曲である。
「何も、不安がることはないのに、姫」
 踊りながら、竜王の息子は少し淋しそうに言った。
「私とて、姫が相手をして踊ってくれたからといって、うぬぼれたり、つけこんだりするほど、愚かではないのだから」
「・・・ごめんなさい。そんなつもりでは」
「ああ、すまない。あなたを悲しませようと思って言ったのではない、姫。笑って。何かほかの話をしよう。たとえば・・・そう、向こうの宴会に、姫ほどの美人はいなかったぞ」
「まあ、お上手ですのね」
 不器用なご機嫌とりに、フィリシアの表情が緩んだ。二人はゆっくり、くるりくるりと部屋の中を回った。
「本気にしないのか。しかし、そうだな、ドレスを着てもらえて良かった。とても美しい。よく似合っている」
「あなたこそ、今日は素晴らしいお姿でいらっしゃいますわ」
「姫にそう言われるのは悪い気はしないな」
 竜王の息子はくすぐったそうな顔をした。
「正装なんだ。ずいぶん盛大な宴だったからな。大がかりな訴訟が一つ片付いて、父上が大喜びなんだ。本当なら姫を連れて行きたかったんだが、姫のことは父上に内緒にしているものだから」
「わたくしなど、そんな所に連れだされたら、身の置き場もなくて逃げ出すはめになるのが関の山です」
「そんなことはないだろう!」
「だって他に地上の人間はおりませんでしょう」
「それはそうだが」

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