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2018年2月

こぼれ話:猫を飼う夫人

 まだ社交界にデビューしたばかりの少女だったころ、お城で仮面舞踏会があって、私はたくさんのピンク色の布で、薔薇の花をモチーフにした飾り付けをしてもらった。蝶々をイメージした仮面をつけてお城に行くと、広間は華やかで賑やかで、まるで夢のよう。同じ年頃の子どもたちと、お互い誰だかわからないまま、おしゃべりをした。一人の男の子が、私の髪がほどけかけているのを見つけて直してくれた。
「すこし、じっとしていて。すぐに編めますから……はい、できました」
 男の子なのに私の髪を細い指で編んでくれた彼の、鳥の羽根を模した仮面から覗く優しい瞳は、魔除けの宝石のような緑色をしていて、吸い込まれそうな気がした。仲良くなれたらいいな、と思ったし、なんだか相手もそう思ってくれているような気がしたけれど、
「ごめんなさい、行かなくてはなりません。またお会いしましょう」
 そう言って、男の子は向こうへ歩いて行ってしまった。後ろ姿を、見るともなしに見ていると、彼の向かった先は、驚いたことに王子殿下のところだった。年の近い王子殿下と、とても親しそうにお話ししている……それに、あのさらさらした長い髪。それでは彼は、ディア家のセレン様だったのだ。ふだんなら、とても私が口をきく機会など無い。
 帰りがけ、ふと見ると、そのひとは向こうのほうから、ちょうど私のほうを見ていて、視線が合った。こちらに来ようとしてくれたけれど、私はお辞儀をして、背中を向けて、退出した。親しくなる前に家柄の差がわかって良かった。仮装パーティーだったのも助かった。私のほうは彼が何者であるか見当がついたけれど、彼のほうは、ふだんの私を見かけても、見分けがつかないだろうから。

 数年後、私は、親に言われるまま、家柄の釣り合う相手に嫁いだ。ささやかな幸せを望んだ私に、けれど夫は興味を持たなかった。夫は、よそに好きなひとがいて、逢引きを繰り返した。落ち込む私に、友人たちは、犬か猫を飼ったらどうかと勧めてくれた。そうね、気晴らしになるかもしれない、猫を飼うことにした。猫のいる暮らしは、思ったよりずっと楽しかった。夫が振り向いてくれなくても、猫がいればいいわ。
 ある晩、夫とパーティーに行った先で、夫のほうはすぐに愛人のもとへと去ってしまい、私は誰か友人を探したが、たまたまその日は仲の良い人が見つからなかった。また、人の輪の中心にはディア家のセレン様がいて、今は婚約者がいらっしゃるはずだけれど、私にはやっぱり眩しい方で、遠巻きにうっとりと眺めていて――なんだか悲しくなった。結婚したとは名ばかりの、ひとりぼっちの私。いいえ、猫がいるけれど。
 人のいないバルコニーに逃れて、夜風に当たることにした。
 そうして、気が付いたら、私のすぐそばに、かのひとが立っていた。
「すこし、じっとしていて。髪飾りがゆるんで……はい、どうぞ」
 にこ、と笑いかけてくれた。あのときと同じだったが、お互いに仮面がない。どきどきして口がきけなくなっている私に、
「以前どこかでお会いしましたね。またお会いできて嬉しいです」
と言う。いいえ、いいえ、きっと誰にでもおっしゃっているのだわ。婚約者がいらっしゃるのに、こんなところで人妻と二人きりになって、口説くようなことをおっしゃって、よろしいのですか――と、心の中では思うのに、のどにつかえて出て来ない。
 狼狽したあげく、やっと私の口から出た言葉はと言えば、
「猫が……」
「猫?」
「猫が、待っているので、帰ります……」
 かのひとは、ふふ、と笑った。
「ぼくは、あなたにとって、猫ほどの価値もありませんか」
「猫は、素晴らしいです。私を慰めてくれます……」
 ふわり、と良い匂いに包まれた。何が起こったのかわからない私の耳元で、優しい甘い声がした。
「では、せめて貴女が泣き止むまでのあいだ、こうしていましょう」
「……」
 涙はなかなか止まらなかった。猫が、とは、もう言えなかった。

 急に「子供が欲しい」と言い出した私に、夫は当惑したようだった。だが、「そうだね。そういうことも、そろそろ考えないといけないかもしれない」と言って、応じてくれた。
 やがて、すこやかな赤ちゃんが生まれてみると、意外なことに、夫は非常な子煩悩だった。愛人のところに行くことはなくなり、家にいる時間はほとんど、坊やと遊んで過ごすようになった。
「男の子は母親に似るというのは、本当だねえ。きれいな優しい顔をしているじゃないか」
と、そんなことさえ言った。
 夫と子供と猫に囲まれて、私は申し分なく幸せな暮らしぶりになった。とりわけ、息子を見ていると、気持ちが安らいで、生きていてよかったと思える。私と同じ亜麻色の髪。私と同じ緑色の瞳。いいえ、私よりも息子のほうが、綺麗な目をしている。
 それはまるで魔除けの宝石のような、吸い込まれそうに優しい、緑色の瞳。

こぼれ話:「鬼」「節分」

「鬼」という500字くらいの掌編を書いたことがあって、
冒険譚とは関係ない話のように思いつつ、どことなく主人公がセレンに似ているので、
迷ってそっとしておいたのですが。

先日の節分で、続きを思いついて、これも500字ほどのお話ですが、
「和風な雰囲気で読んだほうが、しっくり収まりそう」と思ったので、
やっぱり冒険譚とは関係ない話なんだ、と思いつつ、せっかくなのでここに置きます。

* * *

 

『鬼』

野宿は避けたいが、さて、人家は見つかるだろうか。と、心配していた若者は、暗くなった頃、一軒の明かりを見つけた。近づいてみると、平屋だが、大きな家だ。
若者は近くの木に馬をつないで、家の戸を叩いた。しばらくして、戸の向こうで、女性の細い声がした。
「どなた?」
「旅の者です。一晩、屋根を貸していただけませんか」
戸が開いた。美しい娘が、虚ろな瞳で若者を見て、言った。
「屋根。雨露をしのぐだけなら、入って、好きにしたらいいわ」
それだけ言って、ふらふらと中へ歩み去る。
ためらった後、中に入って、若者ははっとした。娘の向かう先に、一体の骨があった。見るからに古い骨。娘は骨の横にうずくまり、されこうべを抱えて丸くなり、動かなくなった。
若者は迷ったが、結局、部屋の端に毛布をひいて横になり、一晩を過ごした。あまり眠れなかった。

翌朝早く、若者は起き出して、そっと家を出た。背後から細い声が聞こえた。
「さようなら、旅の人」
「ありがとうございました」
礼を述べて去った若者は、道すがら考えた。美しい娘の額にあった二本の角と、あの骨について。

* * *

 

『節分』

朝から山に入っていたが、もう昼を過ぎた。諦めて帰らなければ。
だが、もう少しだけ。歩き出した足の先に、ひっそりと建つ屋敷が見えた。見つけた。

戸を叩けば、見覚えのある娘が姿を現す。若者は静かに言う。
「下の里の者たちが、節分の日、鬼を倒すために山を探すそうです。あなたのことでしょう」
「……」
娘は黙って、自分の額に生えている角をさわる。若者は頷く。
「一年前、僕は道に迷って、あなたに助けられた。今度は僕が助けたい。節分は明日。まず、ちゃんと食べて、そして逃げて」
背負った籠を下ろし、捕らえておいた狐を娘に差し出すと、娘は狐を受け取って口を開いた。
「逃げません。返り討ちにするわ」
「それは困る。僕は里にも恨みはないんです」

翌日、里の者たちが山奥で、鍬や鉈を振り上げながら屋敷の戸を叩くと、中から現れたのは人間の若者だった。
「騒がしいな。鬼? いいえ、僕の家だ」
里の者たちは首をひねりながら、安堵して山を下りて行った。
「もう来ないといいね。帰ります。元気で」
若者が去った後、娘は座敷で、愛しい古いされこうべを抱きしめて眠る。

* * *

 

それでは、また。
次回、いつ更新できるか分かりませんが、ゆるゆると気長にお待ちいただければ幸いです。

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